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TRPG覚書


◆「TRPGの『目的』」−2002/08/05

 どうも最近TRPGをやる「目的」と「手段」を混同しているとか、人によって微妙に目的が異なるとか(それによって根本的に「遊び方」も変わる)、そんなようなことを感じることが多かった気がするので、その辺をこの機会にまとめてみようと思う。


1)「楽しむ」「楽しませる」
 TRPGは「遊び」である以上、これが最も原始的かつ根本的かつ基礎的な「目的」であると言っていいであろう。TRPGが他のゲームと違うところは「楽しませる」も基本的な「目的」として提示されることが多い点である。GMは基本的に「PLを楽しませる(ついでに自分も楽しむ)」を目的の主眼として据えるし、例えば「上級者」と言われるようなPLも「GMを楽しませる」「他のPLも楽しませる」を目的とする場合がある。

 これのバリエーションに「感動する/させる」という、より難度の高い目標を「目標」として据える場合もある。


2)良いロールプレイをする/させる
 私の場合は、これが第2の目的となる。とにかく「そのキャラクターらしく(生き生きと)」「(物語的に)かっちょええロールプレイを実現する/させる」。GMの場合は大して上手くもない(?)自分の演技を見せるのもむなしいので、もっぱらPLにかっちょええ演技をさせる(熱いせりふを吐かせるとか…)を目的とする。
 これを実現するには他に多数満たすべき条件がある。それも「副次的目的」と言った方が良いかもしれない。

2−1)キャラクターのアイデンティティを確立する
 そのキャラがどんな奴か?何をしたいと思っているか?を確立する必要がある。演劇の世界でも物語でもキャラの行動に説得力を出すために必須…と言われている(はず)。うまい演技をしろとは言わないが、少なくとも

「こーいう奴だなあ」

と、人に言われるくらいの演技は期待する。まあ、演技が下手でも、キャラが一貫していていざという場面できっちり“キメ”られればそれだけでずっと印象に残るキャラクターになるものである。

2−2)「良いロールプレイ」を実現する状況をセッティングする
 ハングリーな精神がないとボクシングは出来ないとか(何のせりふだ?(笑))、何にしろ「良いロールプレイ」をするためにはキャラクターの内面的な「強い動機付け」が必要である。

 例えば、裕福で金に困ってないなら「マッチ売りの少女」が人々の同情を買う可哀相?なキャラとして印象付けられることは無かったであろう。「貧困」は、いまどき共感してくれる人は日本では少ないと思うが、かつては多くの人が共感する、ある種「窮められた状況」であった。そういう「窮められた状況」でこそ「良いロールプレイ」が発揮されやすい。いや、そういう状況でなくても非常に上手い役者であるなら、「良いロールプレイ」を出来ると思う。しかし、「窮められた状況」の方が人の心に強烈な印象を与えるプレイをせざるを得ない→よってプレイできる、ということになりやすいし、下手な大根役者でもそういうメロドラマのような状況でやらせればそこそこ「見られる演技」になるものである。

 逆に言うと、これを実現するためには自分のPCをわざわざ苦しい状況に追い込むという自虐的なプレイが求められる(笑。というか、ここでは「PLの目標」と「PCの目標」が明らかにずれるので、これをきちんと区別してプレイできるプレイヤーにしかこの種の楽しみ方は薦められない。

2−3)まとめ
 要するに

・共感できるなるべく“良い”キャラクターを作る
・そのキャラクターをわざわざ苦境に追い込む

というプレイングがこの“楽しみ”を得るためには必要だ。


3)良いキャラクターを演技する
 申し訳ないが(誰に言っているのか?(笑))“萌え”とか、ほとんど私には理解不能なのだが(「ほとんど」と言うのは、ゲームブック「闇と炎の狩人」のユーヌリオンのイラストに3日ほどはまったことが…ゲフンゲフン)、まあその、そういう「このキャラは“いい”」というのを実現してみせることに血道をあげる、という遊び方もあるようである。そういえば、「天空の城ラピュタ」でもヒロインが飛行船に乗ったときに乗組員が口々に「いい…」という場面があったが、あれこそまさに“萌え”のシチュエーションと言っていいでしょうな(笑。
 他に、「このキャラかっちょええ〜」を追求する方向も本質的にはやってることは変わらない。実にこの種の楽しみは記録に残っているものとしては源氏物語の辺りから引き継がれる古式ゆかしい楽しみ方と言えるかもしれない(w。

 さて、このスタイルの場合、

・(最終的に)キャラクターを大事にする

を優先する。苦境に追い込まれることはあるが、キャラを殺すことはなるべく避ける。あらゆるシチュエーションは「キャラを立てるためのもの」と捕らえる(ちょっと言い方が極端だが)。このスタイルではそのキャラクターらしくない状況・プレイの取り扱いが難しくなる。下手をすると「このキャラはそんなことはしない」と拒絶することになりかねないのだが、「説得力のある理由付け」を考え付くのであれば、状況に合わせてキャラに変化を加えてプレイ続行も可能。これを

・別のキャラになってしまった。つまらない
・別の側面が生まれて味わい深い独自のキャラになった

のどちらと取るか、微妙だが、後者と取ってもらえた方が「TRPGではPCの都合に合わせてGMがシチュエーションを準備してくれる保証は無い」以上、世間的によろしいのではないかと思う。まあ、キャラのために状況を曲げるというプレイの仕方もあるが…個人的に好きじゃない。その、キャラの性格に合わせて展開の曲げられた話ってあまりいい例がないので…。ドラえもんとか定番キャラをイメージするといいかな?しかしそういう「実際にある定番キャラ」と自分で作った「キャラ」とでは、どう見ても自分のキャラのが見劣りするしねぇ…。

 どうも、私自身理解不能なので、否定的な見解ばかりで申し訳ない(^^;。


4)良い「ゲーム」をする
 そう言えばこういう方向の目的もあった(おい)。ほとんどのTRPGが「ゲーム」としてデザインされている以上、基礎的な目的と言っていいであろう。例えば、「公平」であることは、セッション中のあらゆる事象の「リアリティ」「説得力」を出すために有効である。「公平」であるならば、たとえPCの目的が達成できようができまいが、それには説得力がある。

 このスタイルにはスポーツ・真剣勝負に似た“潔さ”がある。

 TRPGでは、その主たる目的として「疑似体験」を扱う以上、ある程度の「公平さ」は必要だ。リアリティを出すために。ある同じようなアクションに対しては必ず同じようなリアクションを返すべきである。


5)疑似体験
 これもTRPGの主要目的の一つ。基礎。上記の2)〜4)の辺がこれに該当するだろうか。同じ「疑似体験」と言っても人によって微妙に観点が違うので、その辺の差異を把握するのは重要である。例えばクトゥルフとかで3)のスタイルの「疑似体験」を目指すのは辛い、とか(w。


6)コミュニケーション
 これもTRPGの主要目的の一つ。基礎。TRPGにはパーティーゲームとしての側面があり、である以上PL同士+GMの間でコミュニケーションを取ることは基礎的な「目的」と言える。というか、せっかく集まって遊んでいるのにGMとしか話をしなかった、というのはかなりさびしい(笑。これの発展形として「他のPLも楽しませる」というプレイング「目標」がある。


まとめ)
 TRPGで、その「目的」を何にするかは重要です。「目的」によって遊び方が変わりますので、シナリオ作成/選定段階でこの「目的」を決めておくのがいいでしょう。

 ただ、この「目的」はセッション中に変化することがあります。例えば、PLの好みに決定的に合わないとか、疲れてるからそんなに難しいことは考えてられない、とか。変化すれば、それに合わせてやるべきことも変わりますので、それに合わせて押さえるべきポイントを変えていくといいでしょう。これを流動的にできるなら理想的なのですが…。


◆「『シーン』構造論」−2002/12/24

 メモ書きです(w。


1)物語のために世界を作る

 D&Dのあとに出てきたハイ・ファンタジー系のシステムなどではまずTRPGをするには「世界ありき」でした。GMが準備した世界の上で基本的に自由に動く、というコンセプトでした。コンピュータRPG(以下CRPG)の世界でも、ウィザードリィとかウルティマとかドラゴンクエストとか、その辺のシステムは基本的にまず「世界ありき」から始まっています。世界の上で、どんなドラマが偶発的に生まれるか?を楽しむという方向。

 一方、ストーリー志向というか、まず「物語ありき」で、その物語を成立させるための背景世界を肉付けしていく、という手法もあります。CRPGだとFFシリーズとか。ほとんどの映画表現は、その極限まで切り詰めなくてはならないという制約から、こちらの方向の手法の作品がほとんどです(フィクションの場合)。

 メルヘンの場合などはほとんどすべてが「物語のために世界を作る」ですね。御伽噺もそう。いわゆる「小説」はすべてこちら側。

 「背景世界ありき」の話は、歴史小説とか、歴史小説を模したハイ・ファンタジー、ハイ・SFの類。

 TRPGで「物語ありき」を優先的に実現しようとする場合、究極的には、常に「物語のために世界が滅ぼされてもかまわない」ということを前提とすべきです。これが唯一実現されているシステムと言いますと、「エルリック」ぐらいですかねえ(w。あとは「レレレ」(It's came from late late late show)くらいですか。

 「シーン」の考え方は映画で多用されており、「物語ありき」のスタイルでは極めて有効に働きます。で、映画の手法に本当に忠実に従うのであれば、シーン−シーン相互間の連続性に注意を払う必要があります。前のシーンで「PCはAという方向に進むことにした」のであれば、次はAに行く途中の過程か、Aについた後かという順序どおりの進行を「しなくてはいけません」。しかし舞台裏などでやはり心変わりして別のところに行くことにした、ということにしたいのであれば、「『心変わりする』“伏線”を張らなくてはいけません」。

 とは言うものの、世の中の規則というものは常に破壊され続けてきたという歴史がありまして(w、上記で述べた「お約束」は常に崩される可能性があります。ただ、何の予告もなく破壊し続けだと「わけわからない/つまらない」ということになりがちですので、基本的には調和的進行(≒お約束進行)を心がけるのが良いと思われます。基本的調和的進行をそれ以前はきちんと踏襲して、視聴者が見慣れてきたところで初めてパターンを崩してこそ「パターンの破壊」は演出上の効果を持つのです。映画の世界では「3回の法則」というのがありまして、2回同じパターンを踏襲して、3回目にそれを崩すというやり方です。民話の類はほとんど3回の法則に沿ってますね(w。


2)シーンの原型オブジェクト

 「シーン制」とか言われてよくわけがわからなくなるのは、それぞれのシーンがいったい何の目的のためにあるのかというきちんとした分析がなされていないため、シーンの構成が非効率的に出来ている点です。ということで、ここで分類してみます。基本的に「シーン」というものには、機能的には以下の3つのタイプしか存在しません。

<1>動機付けのシーン
 登場人物がなぜそのような行動をするのか?という動機付けをするためのシーンです。このシーンは「TRPGのセッション上、必ず必要」です。ここを手抜きしてはいけません。ここで上手くPCに方向付けできたかどうかがセッションの成否に関わります。うまく行ってなさそうだったら迷わずPC/NPCを介して動機付けをはっきり確認させる場面を新たに作って話し合わせてください。あるいはイベントを起こして動機付けする場合もあります(これは不自然にならないように気を使う必要がある)。

<2>情報を“見せる”シーン
 物語上の背景世界・ストーリーを見せて視聴者の理解を深めてもらうためのシーンです。
 「物語志向」の場合、このタイプのシーンは究極的には「一切不要」です(w。時間が足りないとか、話の焦点がぼけてしまったとか、何らかの不具合が見受けられた場合にはバッサリ切り捨てましょう。不必要です。世界観or物語に陶酔したがるGMとかがこういう場面を見せたがりますが、基本的に全部要らないものです。あくまで「おまけ」と思ってください。

 映画の世界の場合には、例えば1年の出来事をたった2時間に圧縮している場合もありますが、正直余分なシーンを入れている余裕など全くないのです。すべてのシーンは「話のつじつまを合わせるため」だけに存在しています。GMをやる人間が物語志向なシーンの構成を主体としたシナリオ作成・セッションをする場合「物語を視聴者(PL)が、筋道立って理解できる最低限の構成」を考慮してシーンを投入してください。

 ただ、アクション映画はアクションを見せるのが主たる目的ですし、芸術系映画は風景を見せるのが目的になったり、ミュージカル映画はミュージカルを、ホラー映画は恐怖シーンを見せるのが目的だったりします。見せること自体も目的となりえるのです。

 TRPGの場合は何になるでしょう?「美しい物語を語って聞かせる」「美しい場面を演出する」「ハラハラするアクションを演出する」といった辺りでしょうか。この辺のシーンを作ることが最終目的となることはTRPGではよくあります。ただ、この部分はとことん削ることが出来ます。極端に言えば「1場面あれば十分。あとは全部カットしてもかまわない」というくらい削ることが容易ですので、セッションがだれてきたとかいう時にはばっさり切りましょう。

<3>分岐シーン
 キャラクターの行動による結果で先の結果が変わるシーンです。戦闘などのアクションシーンとか、葛藤による決断シーンとか、登場人物の意志によって決められる場合とそうでない場合があります。TRPGがあくまで映画などの物語メディアの踏襲でお約束な結末を実現するためのものであるとするならば、このシーンは不要となります。たとえばアクションシーンがあってハラハラドキドキしますが、結果がどうなるかは最初から決まっているのです。これは上記の<2>に該当しますね。実際のところほとんどの人はどんなにハラハラドキドキしても結局予想通りの調和的結末を本能的に望んでいるものです(w。

 ゲームブックとか、アドベンチャーゲームとか、実際の現実とかのようにダイレクトに分岐のリアリティを感じたいのであれば、分岐する場面はあった方が面白いです。やったことの成果が実感できますし、そういうインタラクティブな遊びが出来るのがTRPGの特長と言っていいでしょう。あとまあ、GMが「こう終わるのが普通だろう」というのがほかの人にとってちっとも普通じゃない場合(よくある話(笑))、調和の妥協点を模索する場面が欲しくなる場合があります。この辺のイメージのすり合わせの過程はTRPGの面白みの一つと言っていいでしょうね。

2−1)PCの物語上の「シーン」
 PCの物語における主導権はPLに委ねられており、予想は出来ますが、必ずこうなると断言することは出来ません。なのでPCが主体的に行動するシーンでは、

A)最低限遂行すべき事項
B)PLの考えによって状況を変えても物語上全く問題にならない事項

を区別する必要があります。上記の3つのシーンの区分けからすると、上記のA)B)は以下のようになります。大体「シチュエーション」というのは流動的に変えてしまってかまわないですね。

<1>動機付けのシーン
 A)動機付けするための最低限の情報を与え、その情報を元にPCがどのように決断したかを擬似体験させる必要がある(GMの思ったとおりの決断をするとは限らない)。
 B)動機付けをするための情報源、情報を得る場所など背景設定は別に何でも良い

<2>情報を“見せる”シーン
 A)つじつまあわせ
 B)上記以外全部GMの趣味&気分でOK

<3>分岐シーン
 A)決断・分岐を促すシチュエーション。PCが決断する場合、決断の意志と意向。分岐による明確な結果
 B)上記以外全部GMの趣味&気分でOK

2−2)PC外の物語上の「シーン」
 基本的に趣味の領域なので「どうでもいい」ですが、余裕があるなら心理展開などをつじつま合わせをしてPLに見せた方がすっきりするでしょう。そうしないと違和感を与えることになります(それはそれで良い)。


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