TRPG覚書
◆「強すぎるNPCは目障りだから消えろ!(笑)」−2002/03/03
これはあくまで俺の趣味だが、PCが対処しきれないほど強力すぎるNPCが頻繁に登場してくるセッションほど嫌なものはない(w。
実際のところ「強すぎるNPC」は、使いどころを誤らなければ使えないこともない。しかし薬も用法を誤れば毒になるというように、ひとつやり方を間違えるだけでセッションの面白さを大きく阻害する大きな害悪となる。例えて言うなら「劇薬」とでも言うといいだろう。
ということで、以下に「強すぎるNPC」を使用する際の欠点、利点、対処法、考慮点など解説していくことにする。
1)欠点
・「PCの出番を奪う」
個人的にTRPGというものは「コミュニケーションの遊び(ゲーム)」だと思う。特に重要な点は「双方向的に」コミュニケーションできると言う点が重要で、他の遊び・ゲームでそれを実現することが困難だからこそ敢えてやる意義があると思うのだが、「強すぎるNPC」というものはこのTRPGの特筆すべき利点を粉砕し、実に一方的な押し付けがましいコミュニケーションの道具となる。・「PLの意図がセッションの進行に反映されなくなる」
上と同じような話だが、要するにセッションをやるというのは、PLがそこに参加することでいくらかなりともその展開が変化し、結末が変わっていくところに意味があると思う。PLの意図をどれだけ取り入れることができるかという点が重要で、だからこそわざわざそれをやる意義があると思うのだが、「強すぎるNPC」が登場する場合、そこでの選択肢が著しく制限される。最も陥りやすいケースでは要するに「PLが参加しても結局何も変わらないじゃん」ということになることが実に多い。
でまあ、そういうセッションでは、「PLが参加しても結局何も変わらないじゃん」とわかった瞬間、多かれ少なかれPLは醒める。要するに「つまらん」ということだ(笑)。・「PLのやる気を削ぐ」
上の項目と関連があるのだが、PLの意図が反映されないセッションをして面白いかと言うと、はっきり言ってつまらない。でまあ、状況が把握されてくると軒並みやる気をそがれて無気力になったPLの相手をしなくてはならなくなる。これはGMやっててもつまらない(笑。・「GMが暴走した時に歯止めが利かない」
GMというのも所詮ただの人(それもTRPGなんかをプレイしているのは若い、あまり自制心の育ってない人間が多いように思うね)であるので、気が付くと感情的になってたり、ムキになってたり、切れてたり、暴走しているということがよくある(笑)。わかってても自制しきれないというという局面は多々あるものだ。そんなときには、ルール的に制御できPCレベルでも何とかできる程度の強力さのNPCであれば例え暴れだしてもルール的に制御して、公平に対処することで事を収めることが可能である。が、「強すぎるNPC」が登場している場合、この歯止めが一切利かない。ゲーム的には対処不能である。仕方ないのでせいぜいPLの方で気を回してGMに対しておべっかを使うぐらいしか方法がないのだが、そんなセッションをしてPLが楽しいのかと言えば「楽しいわけないだろ?バーカ!」てなもんである(笑)。
2)利点
・「セッションの進行を容易に制御できる」
ようやく指輪物語が映画化・公開されたのでそれを見ていただけるとわかると思うのだが(ホントか?(笑))、絶大な力というものは、容易にその願望を実現してしまえるという実に蟲惑的な魅力を持っている。実に「強すぎるNPC」というのはGMにとっての「指輪」に相当するものと言っていいだろう。ついつい使いたくなってしまうという自分の欲求を制御し、いざという時にのみ(仕方なしに)使用する、というスタンスを守れるのであれば、ひとつのセッション制御方法として「強すぎるNPC」を用いるのもいいだろう。そうでもしないとどうにも収まりの付かないセッションというものもあるものである(PLもまた暴走することがあるしね(笑))。個人的には「使わないに越したことはない」と思うがね。あくまでも。
・「PC同士が協力して戦うことを強要する」
一部のPC同士が協力して敵と戦うタイプのシステムではPC同士がコンビネーションを組んで戦う面白さを実現するために、敢えてそれに見合った強敵を出す場合がある。・「PLに絶望感を与えることが出来る」
これは「強すぎるNPC」を積極的に使うための方法論であるが、「PL(&PC)に敢えて絶望感を与える」ために「強すぎるNPC」を使う場合がある。絶望的な状況を乗り越えて勝ち得た、成功・ささやかな幸福の方が、(TRPGにおける)ごく普通の状況からの「成功物語」よりもずっと劇的な効果があり、その分感動も深いからだ。ただ、この方法論を用いる場合にはシステム的なフォロー、シナリオ的なフォローがあった方がPLのやる気を出させるためにいいと思う。真性の、ひとかけらの希望もない“絶望”には、現実的な話、ほとんどの人間は耐えられない(俺は好きだけど(笑))。
3)対処法
以下は「強すぎるNPC」を意図的・非意図的に登場させてしまい、その後起きるであろう弊害にどう対処するかという方法論について書くことにする。3−1)「強すぎるNPC」と対決(戦闘)することになった場合
事情によって明らかに勝てないとわかっているのに敢えて対決せざるを得なくなる場合がある。PL的にはもう醒めてるというか、はっきり言ってつまらないのだが、一応「セッションの最後まで付き合う」というのはTRPGをする上での最低限のマナーであるのでやむなくやり通さざるを得ないことはある(やれやれ)。<PL的対処法>
・降伏する
降伏するケースは事前に考えてないGMが多くて困るのだが(笑)、とりあえずその場しのぎで命をつなぐ方法として使える。即効性も高い。GMがその場合の対応方法を考えてない場合が多いので、GMに休憩など入れてその後の展開を考える余裕を与えるのが姑息なテクニックとして有効である(w。・逃げる
これもGMが対処法を考えてない場合が多くて大弱りなのだが(笑)、とにかく時間稼ぎする方法として使える。場合によってPCたち以外の外部の助力を得る機会が得られる(可能性がある)という点が重要である。PCたちで解決できなくても外部の強力なNPC、組織であれば何とかできる場合がある。クトゥルフなどでどうしようもなくなって警察・軍隊にすべてを任せてとんずらするの理論(w。・とにかく引っ掻き回して時間稼ぎする
「強すぎるNPC」と対決せざるを得なくなって困っているのは実はGMの方だったりする場合が多いので(笑)、時間稼ぎして考える余地を与えるのはテクニックとして極めて重要である。
まったく正反対に、「考える余地を与えずGMを言いくるめる」ために状況を引っ掻き回すと言う手もある。これは面白い(GMは面白くないだろうが(笑))。とにかく武力衝突で勝ち目がないのであれば、それとはまったく別の手段で解決できる方法を考えた方がまだ建設的である。PL側でいい解決方法を考えるまでの時間稼ぎとして引っ掻き回す場合もある。・あきらめる(笑)
あらゆる手を尽くしてもどうしようもない場合もある。そんなときはあきらめろ(笑)。せめて死に際でもかっこよく決めて見せろよ(w。<GM的対処法>
・手加減する
実はPLから見ると見え見えで醒めることはなはだしいのだが、「強すぎるNPC」の寛大さを演出する方法と割り切って手加減するという手がある。いまいちだと思うが現実の世界では「PCが全滅するよりはまし」とこの方法を選ぶGMは多い(w。・問題転嫁する
「手加減する」の、もうちょっとひねった対処法だが、まともに戦っても勝つのがわかりきってて面白くないので、まったく別の(一見公平な)ゲームで解決するという方法である。007でジェームズ=ボンドが捕らえられた際に、敵のボスが良く用いていつも負けるあの方法である(笑)。TRPGにおける対決(戦闘)は所詮作られたバランスの上でのお約束なゲームに過ぎないという、TRPGにおけるゲーム性の核の部分に抵触するテクニックではあるが、とりあえずゲームは面白いしそれなりに盛り上がって気がまぎれるので「使える」。・「毒をもって毒を征す」
強すぎるNPCにPCでは対処できないので、だったら別の強力NPCで対処すればいいじゃんという安直な方法(笑)。まあ、ギャグとしてなら笑えるが、マジなセッションでこれをやられた日には醒めることはなはだしい(w。また、副作用として後述する「強力NPC同士の独壇場」に陥りやすいので用法に気をつける必要がある。具体例としては、ルーンクエストでウォークタパスが増殖しまくってにどうしようもなくなったところに“たまたま”近くにトロールが通りかかってペロリと食べてくれたとか(笑)、NPCにだまされて村人全部にPCが襲われた際に、神様呼んで村人を皆殺しにしてもらっただとか(w。
・夢落ち
説明省略(笑)。・そのセッションのことは忘れる(笑)
(略)・対処しない
まあ、悲劇志向なシステム/セッションとかパラノイアのようなブラックユーモアなセッションでは許される方法であろう(w。3−2)「強すぎるNPC」同士の独壇場になった場合
これがまたGMの一人芝居になって見てて実につまらないのだが(笑)、「つまらない」ということに気付いてないGMも多くて大弱りである(w。延々話が1時間も続いたらはっきり言って寝ちゃうね。別の意味で地獄(w。
まだ「3−1)「強すぎるNPC」と対決(戦闘)することになった場合」の方が(絶望的とは言え)PCの方に行動の余地がある分ましかと。個人的に。<PL的対処法>
・いちゃもん付けて戦闘に持ち込む
「3−1)「強すぎるNPC」と対決(戦闘)することになった場合」になる。死の覚悟はしたまえ(w。・戦闘にならない程度にいちゃもんを付ける
笑いでも取れればOKかと。・寝る/席をはずすetc...
そのまんま(w。・PC同士で勝手に裏で話を進める
この方がまだ建設的か(w?GMの長話のあとでPC同士連携を組んでテキパキ行動をさっさと進めてくと、GMが対処しきれなくて笑える事態になる(笑。<GM的対処法>
・PCに話を振る
何か議論してるならPCにも意見を求めるとか。とにかく話に参加させる。・PLにNPCをやってもらう
よく感情移入の出来たNPCがいる場合とか、突然ひょっこり強力NPCが現れた場合に、それを動かす役目をPLに依頼するという手法です。PCなら強力でもNPCよりは多少許されると言うか(w。無茶をやってPCが一人死んでたら、そのPLに代わりにやってもらうという手も使えるね(w。・省略する
PCが介入する余地がないならさっさとどういう経過があったのかをまとめて省略して伝えた方が手っ取り早い。だらだら長く見せてもPLはつまらないだけだし(w。
4)考慮点
考慮点と言うほどもののは大してないのだが、敢えてGMがTRPGのセッションに強力なNPCを登場させる場合に必ず考えて欲しいことがある。
それは「その立場のNPCを登場させる場合に、それほど強力な力をNPCに持たせる必要があるのか?」
というところ。
まあ、俺のスタイルの場合「まず第1にPCを活躍させるべきだ」というのがあるので、はっきり言うなら「強すぎるNPC」は敵だ。要らない。むしろ、まったく無力なNPCの方が、強力なNPCよりもよほど思い通りの展開にPCを導く煽動力を持ってる。その辺のテクニックを磨いた方が100倍ましだと思うね。
まとめ
まあ「強すぎるNPC」をついつい出してしまうのは、初心者マスターがやりがちな典型的かつ初歩的なミスですが、(D&Dで1LvのPC相手にドラゴンを出すとか(笑))まあ一概に否定したものではなくて、用法さえ誤らなければ劇的な効果を上げるための一手法として十分使えると思います。ただ、ひとつ間違うだけでとてもつまらないセッションになってしまうので、使うのであったら明確な意図(コンセプト)が必要かと。そこだけ考えて欲しいなと思いますね(w。
◆「しゃべりすぎるGMはPLの自由な発想を殺す」−2002/03/27
タイトルとあまり合っていませんが(笑)、TRPGに関する「時間管理」について書きます。時間管理というか「PLの活動時間」について。どれだけ「楽しい時間」をより増やすことが出来るか?
TRPGをしていて「楽しい時間と」はいったいどんな時間でしょう?
僕の考えでは以下のような時間が「楽しい時間」の範疇に入ると思います。
1)PLが自発的にしゃべってプレイしている時間
2)PLがセッション中の問題について考えている時間
3)他のPC/NPCの面白い動きを見ている時間
4)GMの面白い話を聞いている時間この順序は意図的ですが、上の方ほど感得される面白さは上だと思います。
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ではまず、1)の時間がなるべく多くするにはどうしたらいいでしょう?
PLとGMが対話する場合、その時間の半分は4)になります。3)の方が4)よりも面白いと言うのは僕の好みですが、GMと話すよりもPL同士が話した方が同時に2人のPLに1)の時間が得られると言う点で非常に効率が良いと思います。PL同士が自発的に話せるようにするのは非常に簡単だったり、極めて難しくなったり、面子によってかなり変わってくるんですが、「GMがPL同士で話し合える話題を上手に提供する」ことで状況を底上げすることが出来ます。
あと、PCたちがパーティーの場合には「パーティーの情報」として全体的に話題提供することになるので、例えば「口のうまいPLが場を占有する」という状況が比較的生まれやすいのに対して(要するにあまりしゃべらないPLにとっては3)の時間になってしまう。そういう方がPLの資質に沿った組み合わせになる、という話もありますが)、PCが個別に処理されるスタイルでは個別に話題が提供されるので、全PCが独自に自発的に話せる機会を得る(全員が1)になる)、という利点はあります。しゃべりたくない人までしゃべらないと場に参加できなくなるというシビアさも兼ね備えてるわけですが…(個人的には「しゃべるのが嫌な奴のことは考慮しない」ことにしてるので、切って捨てるだけだが(笑))。
さらに高度にすると、PCがバラバラで、それぞれがペアを組んで平行で会話が進んでいるという状況が最も時間消費効率がよく「楽しい時間」の密度の高い状況だと思いますが、これをコントロールできるようになるにはある程度の修練が必要なので修行してください(w。結局はGMがリアルタイムにどれだけ多様な「情報」を管理し切れるかというテクニックが肝になります。
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次に2)の時間を増やすための方法。
これはGMからのアプローチ主体でコントロールできます。方法は2通りあって、<1>すぐには解けない難しい問題を出す
<2>決断を要する絶対的な正解の無い問題を出すこんな感じです。
さらに、こういった問題を出すと「PL同士が話し合う」ことになり、自動的に1)の時間が増えることにもなるという利点もあります。ただ、これはPCorPLが協力体制であればの話であって、PCand/orPLが対立体制にある場合には話し合うことが出来ないのでこの論は成り立ちません。「謎解きシナリオはPCが対立するセッションではあまり面白くならない」のはこういった理由からでしょう。
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残る3)、4)に関しては、そこそこセッションが回っていれば自動的にそういう状態になるので特に説明はしません。普通にセッションを面白くするにはごく普通に設定を作って普通にプレイしてればそれなりに何とかなるので、その辺は良くあるマスタリング論や実際プレイしながら感覚を掴んでください。
今回は「もっと面白くするにはどうすればいい?」という点についてのみ解説しました。
−以上−
TRPGにおいて「ゲームバランス」はわりと重要です。“わりと”と過小評価するのは、TRPGという遊びは、「ゲームである」という一部の嗜好性について、それを放棄した遊び方をする場合がありますし、また、その遊び方によって「ゲーム」として取り扱われる「部分」がまったく変わってしまう場合もあるからです。
以下、どういうときに「バランス」の感覚が要求されるかを解説していきます。
1)戦闘バランス
多くのTRPGシステムでは(詳細な)戦闘ルールを取り扱っています。また、戦闘場面を「クライマックス」として扱う場合も多いです。ということで、戦闘場面を「ゲームとして」面白く仕立て上げるのはセッションを面白くする上でかなり有効です。1−1)GM主導で事前に戦闘バランスをとる場合
PLが作成可能なPCの強さを予測し、それに見合った敵をあらかじめ準備する。雑魚敵…余裕で勝てる程度の弱さ〜ミスすると多少怪我する程度。
ラスボス…6:4〜7:3くらいで敵が有利なくらいのバランス。出目が良いと勝てる。PCの人数が多い場合はだいたい誰かが「決定的成功」を出すので、案外楽に勝てたりする。PCの人数が少ないシステムは割と「ヒーローポイント」とかでブースト出来るシステムが多いと思われるので、やはり同じくらいのバランスで良い多くのTRPGシステムでは「レベル」によって大まかに敵、PCの強さがどれくらいか把握できるようになっているので、そこで調整するのが良い。
「レベル」の概念があいまいだったり無かったりするシステムはその辺の調整が難しい。結局「そのシステムでは何のパラメータでキャラの強さが決まるか?」を把握するのが肝要で、そこで調整するのが良い。以下に例を挙げる。<戦闘バランスに重要な影響を与えるパラメータ>
・深淵…行動値、戦闘技能判定値、武器の効果値、寿命
・Fローズ…「運動」「霊感」
・ボトムズTRPG…回避性能、移動性能
・WQ…猫のMP(笑)
・クトゥルフ…攻撃技能、回避
・R&R…「がまんする」(笑)1−2)GM主導でセッション中に調整する場合
僕はこの手は滅多に使いません。このテクニックを「普通に使用する」感覚に慣れてしまうと、シナリオ構築能力が落ちます(というか、向上しない)。1−2−1)ザコ敵で調整する
雑魚的との戦闘の最大の意味合いは、クライマックスの戦闘に向けてバランス調整する意味がある。実はここでバランス調整してラスボスを強化・弱体化させてるのがPLにばれると醒めることはなはだしいのだが、ばれなければ良い。だそうな。1−2−2)アイテム強化
敵に勝てそうな強化アイテムをプレゼントするとか、「敵を倒すには***が必要だ」と言って強化アイテムを探すミッションを発行するとかだいたい2通りくらいの方法があります。ダンジョンだと途中の部屋でそれとなく強化アイテムが手に入るとか。PCに合わせてアイテム配置をリアルタイムで変更するという手もあります。ばれるとやはり醒めることはなはだしいですが、ばれなきゃ良い。と言われます。1−2−3)NPC介入による調整
本末転倒して「強すぎるNPCは目障りだから消えろ!(笑)」で書いたような状況に陥りやすいので気をつけよう。PCだけで大丈夫そうだったら「怖いから」「体調が悪いから」などの理由で協力を断り、やばそうだったらそれとなくサポートするのが良いかと。
NPCを強化するより「便利なアイテムを持ってる」という形で援助する方がNPCが出番を奪うこともないし、万一NPCが死亡してもあとで役立つのでお勧めですか。1−3)PL主導でバランス調整する
セッションを「情報集めゲーム」→「戦闘ゲーム」という構成で考える場合、「情報集めゲーム」の段階でうまく立ち回るとあとの「戦闘ゲーム」で有利になるアイテムや状況を得られるように、事前にシナリオ設計します。セッション開始後はGMから積極的にバランス調整することはありません。この方が純粋にゲーム的な遊びになります。GMから見ると面白いし、PLから見ても「GMは一切手加減しない」ので緊張感があります。何なら全部オープンダイスにしてもいい。同じシナリオを別の場所でセッションするときも「バランスはすでに取れているのでいちいち調整する必要が無い。うまく行かないのはPLのせいで、その理由を理路整然と説明することが出来る」という利点があります。
2)一般行動バランス
D&Dの頃はそもそもそのルールが存在しませんでしたし、あってもおざなりなルールのシステムが多かったりするんで軽視されがちですが、重要です!
というか、「ルールが無い/おざなりなルールしかない」=「その場の勢いで何とでもなってしまう」
し、加えて
「一般行動はPCの行動原理に直結する」
ので、危険です。ルールが無いのにGMが調整しなくてはならないので、本当にGM&PLの能力しだいでどうとでもなります。
最近は一般行動もわりとルールでちゃんと処理できるようになりましたか。
2−1)判定1回で決まってしまう
これがわりと曲者です。ダイスで決めてしまうと挽回の余地がありません。さして重要でない場面であれば、この方が処理が簡便で良いですが、重要場面の場合判定1回で決まってしまうようでは実に味気ないことになります。たとえば「謎解き」とか「説得」とか、そういうのをシナリオのテーマにする場合ですね。一つの方法として、PLの熱意などを評価して判定を無視するというやり方があります。
このやり方、僕は好きじゃないです。あくまで僕の嗜好ですが、これって結局PLとGMの馴れ合いになるんですね。よく言えば「信頼関係」と言い換えることも出来ますが。戦闘とか情報収集とか、それまで「ゲーム的に」積み上げてきたさまざまな評価が無に帰すと言うか、GMがその場しのぎで譲歩してOKにしてくれたのを見るとものすごく徒労感を感じます。今までやってきたのは何だったのか?と。
あと「信頼関係」というのは初対面の相手には通用しないので、この辺も厳しいところですか。それから「この辺で困ったらGMが手加減してくれるだろう」という印象が根付くと緊張感がなくなってセッションがマンネリ化するというのも好きじゃない部分ですね。そんなわけで、むしろ一般判定によるクライマックス場面こそその過程を論理的に構築し、ゲーム的にきっちり評価する方法をデザインする必要があると思います。
システム的には「段階評価する」タイプのルールがルール化されているシステムだと、それに則ってその辺の組み立てを考えることが出来ます。深淵、ヒーローウォーズ辺りがその辺ルール化されてなかったでしょうか?もちろん同様のことをシナリオのデザインによって実現することもできます。たとえば、あるNPCを説得するためにはそのNPCの出す3つの難題を解かなくてはならないとか、そういう置き換えをデザインする。
もう一つの方法として、ゲームブック的に議論の流れを分岐管理するというやり方があります。会話の流れ、シナリオの流れの中で分岐点を設定し、そこでどう選択したかによって結果を変えていくという方法。これを事前にシナリオで考えずセッション中に即興で構築するのは難しいですが(事前に予測できない場合も良くある)、ある特定の局面で人の思いつくことなどせいぜい数パターン程度しかないので、理論上は慣れればかなりの割合で予測できるようになります。最もGM自身の思考スピードの問題もあるので、誰にでもお勧めできるというわけではありませんが…。
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余談だが、GMは自分の「思考スピード」を把握することは重要である。アドリブしたいなら必須。「とっさにうまいリアクションを思いつく」のも重要なポイントであるが、それ以上に重要なのは「素早くつじつまあわせが出来ること」というところ。つじつま合わせというのは、
・その場のアクションが他の部分にどんな影響を与えるのかを把握する
・「一見」矛盾するようなおかしな事項があった場合、そのおかしな事項の説明を求められた場合にきちんと説明できる論拠を構築できること以上を満たすことである。これらを頭の中で考え、その影響が出る場面で論理武装してきちんと対処できる態勢になっているか、というのが重要だ。ここで「思考スピード」が関係してくる。「思考スピード」が遅い場合(それは単純にその本人の特質なので、速いからいいとか遅いから悪いとかそんなことはまったくないと思う。重要なのは速いか遅いか、それを自覚していることだ)、リアクションの態勢を整えるまでの時間を確保することが必要だ。だからテクニックとしては「そこで休憩を入れる」というテクニックが重要となる。
3)PL同士のバランス
ほぼどんなTRPGでもシステム化されておらず、かつ最も難しいのがPL同士の人間関係のバランスである。ただ、システムによって「発言のバランス」が調整されているシステムはある。PCごとにシーンをくれるシステムとか。TRPGでは一つのシステムをそんなにもやり混むとは限らないので初心者と(システムの)熟練者とのバランスとか、そもそもTRPG自体の初心者とTRPG自体の熟練者のバランスとか、そんなところも考慮点としてある。
古来からあるパーティーシステムではPCたちの外部に重要な問題があったので、PC/PL同士の格差はそれほど問題とならなかった。しかしPL同士場面を取り合うとか、PC同士対立するとかそういうシステム/シナリオではそんな甘いことも言ってられなくなった(笑。
とりあえず、以上の辺りについてはシステム的フォローがほとんど出来ないので、GMおよびベテランのPLがサポートでフォローするくらいしかない。GMなら慣れてないPLには強めのやりやすいキャラを、そうでない人には難しめのを割り振るというやり方で対処することも出来る。PL自身がその辺のバランスを最初から意識して、もうだいぶ慣れてるから今度はもうちょっと難しめのキャラをやってみようと挑戦する、とか。
この辺は難しいですねぇ(^^;。
せいぜい「ルールを知ってれば有利とは限らない」シナリオを作るくらいですかねぇ?あと、対処に困ってそうなPLほど積極的にGMからフォローを入れて底上げするというテクニックも有効ですか。しゃべってないPLほどGMから積極的に話しかけてみるとか。
まとめ)
ちっともまとまってないし、ただうだうだ書いてきただけのような気がするが(笑)、TRPGを「ゲームとして」面白くするためにはバランスは重要だ。最初から絶対に負けるとわかっている相手と戦っても面白いことなど一つもない(その前に逃げろよ、という話が(笑))。「PLがそれなりの努力をしたり幸運に恵まれたならば勝てる」というくらいのバランスがゲーム的に面白いと思う。「簡単に勝てすぎる」のもあまり面白くない(好みによる)。事前にバランス調整されていること自体嫌だという向きもあるかもしれないが、その辺は無視しておく(w。
はっきり言っておくがTRPGはバランス調整されているものである。シナリオ作成時でPCの人数、PCのレベルの目安、敵のレベルの目安を決めている時点で「バランス調整されている」。ただ「戦闘シーンのみ」をこのバランスで調整しようと思うなら、クライマックスの戦闘シーンに入る直前で敵のパラメータを調整すれば良い。クライマックスに至るまでの情報集めとかすべての場面を「ゲーム」として扱いたいのであれば、「セッション開始前にパラメータ調整をするのはOKだが、セッション中に手加減などするのは言語道断」ということになる。
まとまりませんな(笑)。
「マンチキンって何?」とか「BAD TRIP」とか、その他いろいろな場所で悪いプレイヤーの例として「マンチキン」というものが取り上げられているが、正直僕のスタンスでは「マンチキンというものは悪いプレイヤーだ」と言うことが出来ないので、その辺の論証をしてみようと思う。
1.どんなプレイが「マンチキン」と見なされるのか?
こんなところでしょうか?・周りとのバランスや迷惑を顧みずひたすらルール敵優位のみ追い求めるプレイ
ただ、このままでは複数の問題要因が混ざってしまっているので、正確な分析を期するために問題の切り分けをする。
1)ルール的優位を求めた結果、ゲームバランスが崩れてしまう
2)ルール的優位を求めた結果、PC同士のパワーバランスが崩れてしまう
3)バランスが崩れた事に気付かずそのままプレイを続行してひんしゅくを買う
4)バランスが崩れた事に気付いたが、特に何も言われなかったのでそのままプレイ続行し、陰口を叩かれる
5)バランスが崩れた事に気付いたが、注意されたが周りを顧みずそのままプレイ続行し、ひんしゅくを買う
6)バランスが崩れた事に気付き、それに対する対応策を提示されたがそれを無視してプレイ続行。ひんしゅくを買う。以上これくらいのケースが考えられるだろうか。
以下、検討に入る。2.「ゲーム」であるならばルール的優位を求めるのは当たり前である
TRPGが「ゲーム」であるかどうかはさておき、少なくともゲーム的楽しさを求めることは多い。とりわけそのルール/システムは「ゲーム」として機能するように設計されているはずだ(バランスの良し悪しはさておき)。ということで、PLがある程度自由に選択してキャラクターを作ることが出来るとか、状況設定ができるという局面では、ゲーム的優位を求める選択をするのは当たり前である。よって、上記の
1)2)の問題についてはゲーマーとしてはまったく問題はないと言える(笑)。
もっとも、TRPGで求める「面白さ」は「ゲーム的面白さ」だけではないので、そちらの観点からするとおかしい。しかしこれは価値観の違いだからねえ。
正直僕の考えとしては、
「TRPGでは価値観の違う人同士が参加し、セッションの過程を経て共通理解を得る」
というのを前提条件とすべきだと思うので、1)、2)の問題というのは「いついかなるセッションでも当然のごとく発生するものだ」というスタンスでいるのが望ましいと考える。むしろ、そういうスタンスでいない場合「君の遊び方は実に閉鎖的だねえ」と言わざるを得ない。まあ、内輪「だけ」で遊んでるならいいんだけど。
3.ゲームとして面白いかどうか?
とりあえずマンチっぽい選択によってセッションのルールバランスが発生するのは2.の話から「当然ありえることである」ということを前提にした上で話を進めよう。とりあえずバランスが悪いのははっきり言って「ゲームとして面白くない」ので、もちろん何らかの対処をしてそれを補正することになる。補正しないのは3)、4)の辺りの話になる。
まず3)で、気付かないのははっきり言うが「君のゲーマーとしてのセンスは実に疑わしい」というところだ(笑。
次に4)。ゲームとしての面白さと言ってもいろいろあるのだが・とにかく勝つのが楽しい
というのがある。勝つのは楽しい。敗者が悔しがってるのを見るのは楽しい。
しかしただ勝つと言ってもいろいろある。
どんな卑怯な手を使ってもとにかく勝てばいいのか?フェアな条件で勝たないのであれば意味が無いとか、ある特定のポリシーに沿って勝たなければ意味が無いとか。TRPGではとりあえずPCは、その目的は「勝つこと」(あるいは目的達成すること)になる。しかしPLも同じ目的だとは限らない。純粋なゲームでも約束として「勝利のために最善を尽くす」ことが必要であっても、実は勝つことが目的ではないという領域がある。TRPGの場合、むしろ普通のゲームよりも直接「「勝利のために最善を尽くす」ことが必要であっても、実は勝つことが目的ではないという領域」を目指した遊びであると思う。要するに「過程が大事」という考え方とか。
ということで、4)のケースでは「ただ勝つのが良いことだ」という思想の上では判断として正しいと言えるが、ゲーム的駆け引きの面白さとか過程を重視する考え方の上ではちっとも目的達成していないことになる。
この辺はプレイする人間のセンスの問題なので、まあかっこいいとかかっこ悪いとか言われることになるわけだ。
もう一つ、TRPGでは「コミュニケーションの遊びである」という極めて重要な観点がある。その場合重要なのは、「相手も楽しんでいるかどうか?」という点だ。自分一人だけ楽しいというのはTRPGではせいぜい多く見ても50%の成功としか言えないと思う。
で、勝つことだけを目指す場合、「負けた人間がつまらない思いをする」ということが考慮されない場合がある。
なんか話がそれたな(笑。
4.ルール的問題はルールで対処すべきである
プレイする当人についての問題列挙はほぼ済んだので、次は周りの問題について取り上げる。特に4)のケースの辺り。周りが気付かずあとで文句を言うのはおかしい(笑。あるいは気付いたのに何も言わないのはおかしい。
とりあえず明らかにゲームバランスの悪いプレイが発生し、ゲームとして面白くなくなってきたときに、それに気付いて対処できないというのは理論的にありえない。可能性として考えられるのは
「プレイする人間がルールを把握してないので対処できない」
というケースである。はっきり言っておくが、これが出来ないGMは「ルールを使いこなすことが出来ない」ということになり、さらに極端に推し進めると「ルールを使いこなせないそのGMとは『ゲーム』ができない」ということをも意味する。
ゲーム的楽しさを求めている人間が、プレイしているそのさなかに失望する、決定的瞬間である(笑。
どのくらいの範囲までの強力さが今回の「ゲーム」に許容されるか理解していないということである。とりあえず、
「それはバランスが崩れるからやめてください」
とか
「その手を使うならこちらはこういう対処で…」
とか考えることの出来ないGMとは、永久に「ゲーム」は出来ない。
出来るようになってください(w。
できないということはTRPGの面白さの中の半分くらいをドブに捨ててるようなものなので、実にもったいないことだと思います。あくまで僕の個人の意見ですけどね。
5.人間性/コミュニケーションの問題である
5)、6)のケース。これははっきり言ってルールの問題ではない。プレイする人間の人間性およびコミュニケーションの問題だ。別にこういうところで問題発生するようであれば、そもそもルールなど何の関係もなくても単純にコミュニケーションする段階で問題発生する。戦闘ルールなど重要な局面でも同じことを繰り返すので問題がクローズアップされるだけの話である。まとめ)
以下にまとめを箇条書きにする。・ゲームとしてルールにこだわるのであれば、ルール的優位を求めるのは当たり前だし、それによってバランスが極端に崩れることがあるのは、ごく普通の「ルールの問題」である。別にマンチキンだからというのはまったく関係が無い。
・ただTRPGでは勝利することだけが目的ではなく、例えば他の参加者も楽しんでいるかどうかがその成果として重要であるので、自分がゲーム的優位を求めた結果として誰かがつまらない思いをしているのに気付いたら、それを考慮したプレイをした方が望ましいと考える。というか、周りが楽しんでるかにも気を配れ(w。
個人的には、自分のことしか見えん奴はかっこ悪いと思う。・問題発生した場合、周り(特にGM)はルールのレベルで対処すべきであるし、ほぼどんなケースでもルール上で対処できるはずである。対処できない人間&GMとは「ゲーム」が出来ない。
個人的には対処できるようになって欲しい。対処できないにしても自覚はして欲しい。・最終的には人間性&コミュニケーションの問題である。別にルールに限った話ではない。この点についてはそのPLに改善してもらう必要がある。
前回の論でTRPGのセッションでルール的な見解の相違が発生するのは当たり前であるという話をしたので、今回はその対処法について書く。なにぶん結局は人間同士の問題であるので、「こういうときは感情的にならずにクールに対処すべきだ」とか「こういう言い回しをした方が和やかにこちらの主張が通りやすい」というのがある。
1)マスターへの信頼感
まず、一番基本的で最も重要な問題は、そのGMはプレイヤーに信頼されているのかどうか?である。実はきちんと筋道だてて論理的に説明しようが、感覚的に勢いで説得しようが、その主張が通るかどうかについて根本的なところでは何も関係がない(w。どんなに筋を通そうが相手が理解しようとしなければ無駄だし、どんなにちゃらんぽらんな論理でも何となく気分でOKであれば、意外と何とかうまく行っちゃったりするものである(w。結局「そのGMの指示通りに行動すればうまくまとまる」と信じてもらうことが重要である。
もっとも、その信頼感を勝ち得るにはそれなりの実績なり、根拠なりがあった方が信用しやすいというのはある。カリスマ性による「何の根拠もないけど何となく信用できる」というのは普通の人には不可能なので解説しない(w。
2)論理的対処
ルール的問題とか、論理的に解決可能な細かい問題については、論理的対処が向いている。あくまで「向いている」だけであって必ずしもこの対処法を採用する必要は無いが。この対処法にしても最終的に「どちらとも取れる」という状況になれば結局感情的に納得しやすい方向で決断をするということになりやすい。
以下、具体的対処法の解説をする。2−1)手元のルールブックを参照し、それに従う
まさか、よっぽど簡単なシステムをやってるときでもない限り、ルールブック無しでセッションをやっているなどということは無いと思うが(笑、普通セッションをやっているときには手元にルールのある状況でプレイしているはずだ。ルール的問題が発生した場合はまずルールブックを参照しよう。そこにどう判断すべきかという答えは書いてある。2−2)何らかの理由によってルールを曲げる場合
プレイヤーの当然の権利として「GMはルールブックどおりにルールに従ってセッション運営をしてくれることを期待し、GMはそれを守るべきだ」というのがある(とりあえず断言しておこう)。内輪な気心の知れた者同士のセッションでない限り、相手がどう考えているかなど想像できるはずもないので、何を信用できるかと言えばルールブックを信用するしかないからだ。だから、GMもその信頼に応えるべきだと思う。少なくともそれを破る時は相手の信頼を裏切る時だという自覚はすべきだ。さて、一方でTRPGではルールを破る(曲解する)ことがよくある(w。それは、システムデザインの不備であからさまにバランスがおかしいとか、処理が煩雑になってプレイアビリティーが低いとか、GMの思い描く世界観からすると外れてしまいバランスが崩れるとか、シナリオ上の都合とか、そんなような理由による。
根拠があるにしろ無いにしろ、それは「プレイヤーの期待を裏切ること」に間違いないので、非は必ずGM側にある(w。なので、素直にあっさりと自分の非を認めよう。その方が解決が早い(w。で、自分側に非がある以上その理由の説明はするのが義務だ(と考える)。シナリオの都合などで説明できないときはその旨を告げよう。
2−3)プレイヤーの案を採用する場合
プレイヤーの主張するルーリング案を採用する場合、GMはそれが他に影響を与えるかどうか、問題発生するか否かを判断しなくてはならない。ルールバランスなどの表面的な問題についてはルールを良く知っている別のプレイヤーでも対処可能であるが、シナリオ上の問題についてはGMしか判断できない。さて、言うことがころころ変わって申し訳ないのだが(w、案を採用するかどうかは(特にシナリオの展開に関わってくる場合)、実は「常に」どっちでもいい(笑。GMの気分で決めてかまわない。出来ることなら「こうした方が話として面白くなるから」という密かな根拠を持っているのが望ましいというくらいだろうか。いずれにしろGMのセンスに依存するのでなんとも言いようがない(w。
ただ、ここで問題となってくるのはPLが素直にGMの下した判断に感情的に納得できるかどうかである。そこは気をつけるべきだ。GMは、PLの主張によって最終的決断をまったく変えるつもりがなくても、表面上PLの主張を一通り聞いた上で結論を告げた方が「PLの主張を加味した上で公正な判断によってそういう結論になったのだ」とPLに印象付けることが出来る。
あるいはPLの言う問題はすでに考慮済みの問題であるかもしれない。その時はそのまま論理的に否定理由を告げられるはずだね?(w2−4)一度決めたルールは遵守する
対処に一貫性がないと信頼感が揺らぐので、一度決めたルーリングは以後も同様に適用し続けるべきである。
それで予期せぬ展開でどつぼにはまったとしてもしょうがないとあきらめる方が潔いと思う。個人的にはそういう予期せぬ展開になった方が笑えて好きである(w。3)感情的対処
感情的対処には何があるのかと言うと考えられるのは「はったりをかます」というケースぐらいだろうか。とりあえずおろおろしたり、切れたり、泣きそうになったりするよりも、表面的でもいいから平然としていてくれた方が信頼感が増すような感じがする(根拠は何もないが(笑))。セッションの最初の取っ掛かりとか、初期ではこの対処法が有効に働く場合がある。とりあえず結論のみ述べる。根拠は言わない(言えないとか言い訳する(笑))。表面上平静に見せかけることで「理由は言わなかったが、何らかの根拠があって判断したのだろう」と信じ込ませることが出来る。この種の無根拠な信頼なり何なりはセッションを運営していく上でかなり重要だ。何しろすべてのことに説明付けることなど不可能だし、それを考えている時間はない。よって、状況がうまく行っている間はそれで十分だ。根拠は無いが何となく信頼感がある状況を作っておけばPLの方で勝手に判断して場がうまく行くよう取り計らってくれることもある。
そうしてGMが特に何をしたわけでもないのに何となくうまくいっている状況を見てPLの方は勝手に「GMのやり方でうまく行っている」という実績が出来上がってくる(w。これは後々役に立つ。ただ問題は、うまく行かなくなってきた時で(例えばシナリオが根本的に覆ってしまうとか(笑))、そういう時はこの種の“はったり”だけでは対処しきれず、本気で「どう(論理的に)対処すればセッションがうまく行くか(面白くなるか)?」を考えるべき状況になる。この時点でまだちゃんとした対処法を考えず“なあなあ”で進めたがるGMは「単なる怠慢」と言っても間違いないであろう(w。
その辺の限界さえわきまえておけば十分使える対処法ではある。